FBI長官フーバーもゴードン・クーパーもUFOを円盤と呼んでいる
【ジョン・エドガー・フーバーの言葉】
最後に、懐疑論者がまったく触れない……というか、まったく知らない衝撃の事実を紹介したいと思います。
ケネス・アーノルド事件からわずか1ヶ月後の1947年7月15日、FBI長官として歴史に名を残すジョン・エドガー・フーバーが、クライド・トルソンという人物への手紙の中でこのようなことを言っているんです。
「私はそれ(UFO研究)をおこなう意志はあるが、研究施設に同意する前に、回収された円盤への完全なアクセスを要求する。たとえば、LAの件で空軍は円盤を回収したまま、私たちに渡さず、大まかな検査もさせなかったからだ」
【ゴードン・クーパーの言葉】
もう1つ。マーキュリー計画の宇宙飛行士、ゴードン・クーパーの証言にこういうものがあるんです。
懐疑ファンとと学会信者の方々はハンカチのご用意を。
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これらの物体(UFO)は、私たちの戦闘機がドイツで組んだのとまったく同じ編隊で飛行し続けていました。彼らはこちらにやってきて、私たちがF86機でおこなった同じ機動飛行をしてみせました。時折、そのうちの1機はビュッと動いて、通常の戦闘機ではできないような機動飛行をしたこともありました。彼らは私たちよりも高いところで、さらに速く飛んでいたので、私たちは追いつくことができませんでした。彼らはでたらめに飛んでいるのではなく、しっかりと統制された中で戦闘機編隊を組んで飛行していました。
その物体は円盤が2つ重なった形をしていて、金属のような色をしていました。それはどこにも翼はなく、私たちがドイツで目撃したものとほぼ同じものでした。それらには1機につき1人操縦士が乗っていて、確実にコミュニケーションを取っていたはずです。なぜなら、彼らが連係していないと成し得ないターンや機動飛行をしていたからです。
エドワーズ空軍基地にいたとき、私は撮影隊に正確な着陸の様子を撮影させていました。1機の円盤が彼らの上を飛行し、3つの着陸装置を格納部に引っ込めて、超高速で飛び立つと消え去りました。
これが起こったとき、私は研究開発部門にあるタスクセンターで非常に機密度の高い複数のプロジェクトに関わっていました。そのため、私たちの軍が当時あのような乗り物を持っていなかったことは、知っていました。そして、ソ連軍もあのような種類のものを持っていなかった、と99%の確信を持っています。当時のあの時点で私は、あの航空機は地球外のどこかで製造されたものだということに、まったく疑いはありませんでした。
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フーバーやクーパーといった重要人物たちの証言でわかるように、当時からUFOは普通に「円盤」と呼ばれていたんです。
【ケネス・アーノルドは空飛ぶ円盤を見たのか?見ていないのか?伝説の真相に迫る!】終わり